バック・トゥ・ザ・フューチャー ~ この本から思考がはじまった

2017年 日本システムの終焉   The End of Japan's System (光文社ペーパーバックス)

2017年 日本システムの終焉 The End of Japan’s System (光文社ペーパーバックス)

  • 作者: 川又 三智彦
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2006/08/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
もうすぐ2016年が終わる。
2007年に同書を読んでから10年が経つ。
http://puyopee.blog.so-net.ne.jp/2011-01-04
2011年にも書評を書いたが、自分の人生に新たな思考回路を植え付けてくれた川又氏には感謝している。
氏がリーマンショック後に破産したと聞いていて心配していたが、この方はただでは転ばないようで、大変な苦労をしながらも常に新しい夢に向かってチャレンジしているようだ。
http://rakiam.com/kawamata-sachihiko-tsukasa-weekly-mansion-current-1440
時代は正に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だ。

婚活アドバイザー 大西女史の記事

 論理的に褒める技術 ――婚活の勝機は「心を動かす具体的な話」にあり

 http://woman.president.jp/articles/-/786

 『なぜ彼女たちが結婚できているのか。それは相手の「心」を動かすことができたからです』

 なるほど納得です

「大地」を巡るロシアの苦悩と日本

久々に時事所感を書く。

7月に録画して放っておいたNHKのドキュメンタリーWAVE 「大地は誰のものか ロシアを耕す中国人」。
悲しいかな、そこには”人口”大国中国に浸食されつつあるロシアの悲哀が映されていた。
それは正に、このままいけば10年後に味わうであろう日本の悲劇と重なっている。

※参考ページは以下
http://adc-g.co.jp/archives/346

「母なる大地」の価値を理解し守ろうとする気概あるロシア人元ソフホーズ責任者。
国家間の交流進展を機にビジネスを目論見次々乗り込んでくる中国農民労働者。
その裏でマージンを稼ぐロシアの役人たち。
どこかの国の現状とダブらないだろうか。
違うのは、中国と国境を接するロシアの国民はその実感度が遥かに切実だということ。

少々視点を変えると、食べるための農業 vs 稼ぐための農業 という構図も見えてくる。
日本は、少なくとも国民の意識では、既に前者への転換をが進行しつつある。
対照的に中国は今正に環境問題という形で後者のツケを払わされている。
どちらに将来性があるのかは一目瞭然だが、民間ビジネスの裏側で暴利を貪る輩は未だに後者への崇拝を続けている。
その錬金術が自分たちの愛する国土を放棄することになる毒薬であることも知らず。

20世紀、ロシアは共産主義教育の下で男たちがウォッカで潰され、日本は戦後教育の下で若者たちが自殺に追い込まれるようになってしまった。
21世紀の初頭、似た者同士が協力し合い、新しい国際協調の道を模索していくときを迎えていると思うのだが。

 

新たな目覚めの時代

大惨事でパニックするエリートと機能しない政府 どん底で助け合う普通の人々と機能する市民社会 100年の災害史が示す人間コミュニティの真実とは ――「災害ユートピア」著者レベッカ・ソルニット|World Voiceプレミアム|ダイヤモンド・オンライン

非公式な組織がその埋め合わせをし、ホームレスの人々を助けたり、病院でボランティア活動をしたりしている。目覚めた人々がいて、彼らが非公式な制度として、隠れた「心ある政府」として機能しているのだ。

災害は、彼らの存在を求めるだけでなく、顕著に光をあてるのだ。この世は資本主義だと言われるが、こうした非公式な制度が多くの生命の持続を可能にしていることを忘れてはならない。

・・・

そう考えると、われわれは今、なんと災害の起こりやすい時代にいるのだろうか。貧困問題、過剰な都市開発計画、気候変動など、われわれを脆弱にする要素は枚挙にいとまがない。そうしたなか、自分たちが誰で、どんな人生を送りたいかを考えることは、今、非常に貴重なことだと私は思う。

われわれは、ともすれば、心理的な私有地の中に生きていると思いがちだ。人生とはプライベートなもので、愛もロマンスも家族も消費も、休暇までもがプライベートなものだと感じてしまう。だが、それは本当に私たちが望んでいる世界なのか。災害の際に見せる人間の姿が人間の本質だとすれば、その発露を阻む日常は、別のかたちの災害ではないのか。是非考えてもらいたい。


今こそ人類の根本問題が解かれる時代。
人々がこれを平和裏に成し遂げることができる道を選ぶのか、それとも災害と戦争によって自らに裁きを与える道を選ぶのか、その分かれ目に我々は位置している。
こういう時だからこそ、自分たちの生きる意義を日々見つめ直すことがとても大切だと思う。
我々は不幸になるために生きることを望んでもいないし、幸福になるために必要な能力が与えられているはずなのだから。

 

憂国の「情報暗黒内閣」とその末路

「情報暗黒内閣」の一年間を振り返る――菅首相はせめて退き際に政治家としての良心を見せてほしい|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン

原発事故の対応に際し、情報隠蔽を繰り返して、日本の国際的な信用を毀損した首相はもはや不要だ。一日でも長くその座に留まることは、かえって日本の国益を損ねる。信頼回復のために一刻も早く、自ら退くべきだろう。

同じことは、菅首相を支えてきた共犯者たちにも言える。しょせん政治は結果責任である。残念ながら閣内で菅首相を支えてきた政治家たちはみな連帯責任が発生している。

ところが、そうした「犯罪者」たちが集まって、同じ「犯罪者」たちの中から「ポスト菅」を選ぼうとしているという。なんという筋の悪い「喜劇」だろう。それは国家への反逆でもあるし、国民への最大の裏切りともなるだろう。

海洋汚染だけでも、今後、日本は莫大な国際賠償を背負わなくてはならない。その額は数十兆から、場合によっては数百兆単位になる、といくつかの国際機関からの指摘がなされている。

さらに、その上で国内の復興支援や原発事故住民への国家賠償も必要となる。

一方で、そうした予算を捻出する国力は確実に低下していくのだ。農林水産のみならず、工業製品を含め、日本の産業は放射能汚染による衰退期に入っている。

国をつぶした政治家たちになぜ国を任せようとするのか。情報隠蔽を繰り返し、自らの保身のために、国家の信頼のみならず、国民の健康まで害した菅首相。

彼と彼を支えた者たちは、将来、必ず断罪されることだろう。それは一年前、政権が発足した際に「週刊文春」誌上で指摘した「情報暗黒内閣」の言葉通りである。


このような末路がある程度見通せる立場で菅氏を首相に押し出した民主党と国政は、日本史の悲劇として記憶されるのか。。。

 

「世界の離婚事情」の根本原因(Theory of Trinity)

世界の離婚事情|知られざる人類婚姻史と共同体社会

残念ながら婚姻関係を存続していく事が困難な状況はどの国でも現実的に発生してしまいます。様々な制約から解放され、次の人生を豊かにする「選択肢」として離婚を認識し始めたのだと思います。

—–

どうでしょうか?社会的な事情・法制度・宗教上により、各国とも離婚事情が変わっていくことがよく分かります。しかし、どの国も、離婚率が上昇してきているとすれば、一対婚姻制度自体が機能していないところまで進んでいるという捉え方も出来ます。そもそも、離婚しなければならない結婚ってどうよ?って感じです。


全世界的に離婚率が上昇する現代。確かに人々の結婚に関する関心は弱まり、婚姻制度が機能していないようにもみえる。

しかしこれにはもっと根本的な問題が存在している。
簡単に言うと、「歴史は繰り返す」ということ。
それは人類歴史の根本まで遡る。

人類の最初の祖先は、実は結婚に失敗していた。
これが人類最大の悲劇であり、これゆえに人類史は混乱の極みを尽くした。
しかし婚姻制度は時代の流れの中で徐々に価値が認められるようになり、今日まで存続してきた。
そして21世紀の現代、家族という根本的な価値観が見直されようとしている時代に至っている。
人類は最初の失敗を乗り越え、真実の結婚を成立させなければならない時代を今正に迎えているのである。
これが原因となり、結婚にまつわるこれまでの全ての問題が白日のもとに晒され、時代に相応しくないものは排除されるようになっているため、全世界的にこの問題が浮上しているのである。

結婚の問題を解決するには、結婚の根本的な意義と価値を教示しかつ実践することが必要となる。
以下に聖書的な観点からみた解釈内容が示されている。

[原理講論 第七章第四節 重生論と三位一体論]

 

政治家劣化と政治制度疲労

この国の政治はなぜかくも劣化したのか―― 被災地無視の菅内閣不信任騒動で極まった 「選良」たちの厚顔無恥と議員内閣制の制度疲労|ポスト3.11の論点 日本と日本人の選択肢|ダイヤモンド・オンライン

震災対応のふがいなさと不信任案を巡る混乱を引き起こしている政治体制の問題点を的確に解説したダイヤモンド・オンラインの記事。その一部を引用したい。

被災地が局地的であろうが、広かろうが、命と生活を維持するための時間は同じである。初めての出来事が多いからこそ、前例にとらわれることなく、官僚や公務員の限界を突破する指導力を発揮すべきだった。それこそが政治主導であろう。

総理の口から出てくるのは、誠意を持って精一杯やっている姿勢を認めて欲しいということばかりである。自らが何に対して、責任を引き受け、その結果に対して、どのような責任をとるのか、その決意はうかがえない。

次に、小沢一郎元代表である。そもそも「菅首相では、今回の危機は乗り切れない」というのが、反旗を翻した大義名分だとすれば、退任表明しただけで手のひらを返したように、態度を変えることは辻褄が合わない。復興基本法案、第2次補正、終息の見えない原発問題を、菅総理に任せることになるからである。

首相交代とマニフェストの実現が、小沢元代表の信念だとすれば、党を割る覚悟で臨んだはずである。だが、筋を通したのは松木兼公、横粂勝仁両議員の2人だけであった。結局は、長年続いてきた菅氏との遺恨による菅降ろしが目標であり、民主党政権は維持しながら、閣外から政権に影響力を保持するのが目標だったと断じられても仕方ない。

鳩山由紀夫前首相もまたしかりである。「党を割りたくない」として動いたと言われるが、何のために割りたくないのかが明確でない。いまのように政党の体すらなしていない民主党政権であれば、党が割れて下野するのも、また政治家の良心ではないのか。昨年6月の首相辞任から引退の撤回、今回の行動に至るまで、国民は「この人は一体、何を考えているのか」という評価が見えていない。結局、小沢氏と同じく民主党政権を維持し、自らの影響力、存在感を維持することが目的としか思えない。

菅、鳩山、小沢の旧トロイカ三人衆だけではない。民主党の衆参150人及ぶ1回生(新人)議員たちもまた期待外れだ。この議員たちこそ、いま国民(市民)が何を政治に望み、どう評価しているかを、市民の常識を持って感じ取り、それを表明できたはずである。政権奪取後、わずか1年半余りにして、永田町の論理に染まったとすれば、彼らの責任は大きい。

そして自民党を中心とする野党である。菅首相が退陣すれば、なぜ局面が大きく開けるのか、その具体的な展望を示すことができなかった。そればかりではない。特に自民党は、これまで原発推進してきたことに対する真摯な総括すらできなかった。これでは国民から不信任案は菅降ろしだけが目的の政争の具と判断され、支持を得ることができなかったのも、むべなるかなである。

こう見て考えると、政策の優先課題もそっちのけで、低次元の権力争いが繰り返すいまの国会議員に国を運営する資格はないと、国民は三行半を突き付けることが必要なのかもしれない。

では、なぜかくも自民党政権末期以来、政治の質が劣化してしまったのか。一つには人の質の問題、もう一つには制度の問題があるだろう。

今回の震災対応にみられるように、現在の議員内閣制がすでに制度疲労を起こしているなら、この国を治める仕組みを改革する必要がある。制度が人を鍛え、考え方に影響を与えるからだ。方法としては、大統領型に近い首相公選制、あるいは各党の代表を首相候補として選挙を戦う(与党首が変わる場合は選挙を行う)といった仕組みが考えられる。この国を治める仕組みの改革が、中長期的な課題である。

短期的には、日本の意志決定には時間がかかることと、政治の不毛を考えれば、国政には多くを期待しないことだ。もちろん、どのような制度をつくろうが、「この人が言うのであれば」「この人のためならば」と人を動かす政治家個人の“魅力”が、最も重要であることは否定しない。しかし、トロイカ三人衆にお引き取り願うのは当然として、いまの政界のだれに期待しろと言うのか。せめて国会は、2次補正、3次補正予算を早期に成立させて、一刻も早く使途限定のない財源を地方自治体に渡すこと、それが復興をじゃましない最良の方法なのかもしれない。

あとは、地方自治体と住民が、自らの未来を自らで決めていくしかあるまい。それが悲劇を通り越して、滑稽とさえ言える我が国の政治の現実である。

 

台湾人から学ぶヒトの心(2011年6月2日付世界日報ビューポイントより引用)

台湾人から学ぶヒトの心 – NPO法人修学院院長・アジア太平洋交流学会代表理事 久保田 信之(世界日報ビューポイント)

よく台湾に旅行に行く元同僚から話を聞くに、日台交流の深さを感じてきた。

改めてここに指摘するまでもなく、今回のいわゆる東日本大震災に対して、各国からさまざまな暖かい援助が寄せられてきたが、中でも、人口わずかに2300万人に過ぎない台湾の国民・老若男女が示してくれた日本を思う誠実な心ほど、素直に日本人の心を癒してくれたものはない。

感動的な事例は、大災害が起きた1週間後の3月18日夜に、純然たる市民の手による「相信希望 Fight&Smile」と名乗る、日本を援助しようと呼びかけたチャリティー・イヴェントが台北市内で開催されたことだ。参加者の大半が20歳前後の若者たちだったが、何と、開始から1時間も経たないうちに日本円で21億円もの多額な義捐金を差し出してくれたのだ。

このイヴェントは19日午前0時に終了したが、総計21億円以上(7億8854万元)もの浄財が集まったのだ。このイヴェントだけではない。台湾全土で募金の受付場所を設けてくれたために、中には握り締めてきたお小遣いを「大好きな日本人のために!」と差し出してくれた幼い子供もいたと聞く。到底「愛日家」とは言えない馬英九・現総統も、こうした一般国民の「日本を愛する心」を見せ付けられたためか、急遽、政府系14団体に呼び掛けて約5億400万円の義捐金を拠出する決定をした一方、民間8団体からは約52億4900万円が集まったという。かくして、現在のところ、民間個人・台湾政府分を合わせると170億円にも達する大きな金額が、「日本を愛し、日本を思う心の証」として、台湾から送られることになったのだ。

中韓を遥かに上回る義捐金を提供してくれる台湾人の心中を思うと感謝の念に堪えない。
これほどの交流があるにもかかわらず、日本のマスコミ文化により友情観念が曲げられてきた事例も少ないだろう。

日本でもインターネットやツイッターに、おそらく若者であろうが「メディアはもっと台湾のこと報道しろよ!」「これだけ援助してもらっているのに、ろくに報道しないマスコミと政府、こういうところでグズっぷりを露呈するな!」など、率直な感想なり意見を書いている。「意図的に台湾を無視し続けている」としか言いようがない日本の政府およびマスコミの影響下にありながらも、こういった真っ当な、素朴な感想が述べられている現状を頼もしく思うのは決して私だけではあるまい。

ところで我が国で「市民の意見に率直に耳を傾け、市民目線で政権を担う」といって政権交代を実現した現在の菅政権は、日台両国の「一般市民の声」をまったく聞こうとはせずに、台湾からの緊急援助隊派遣の申し出を拒否してみたり、170億円以上にもなる「暖かい義捐金」の存在を日本国民に知らせず、「台湾の一般市民」にも感謝の気持ちを表明していないのだ。こうした「冷たい態度」を現在も平然と続けていられる神経ほど「一般市民」の心情から遠く離れたものはないのではないか。

日本の経済が、中華人民共和国にどれほど大きく依存していようとも、それに媚びたような態度をとり、刺激しないよう巧みな言い訳をしている菅政権を、多くの日本人は情けなく思っている。素朴な心情を持った日本の一般市民は、中国(中共)を、心底、信用はしていないのだ。一般の台湾人は、長年、「生存を確立するために不可欠な、大陸の人たちとの共存の仕方」に苦労してきた。平和ボケした我々日本人は、台湾人の、こういった切実な、基本的な苦労を、もっと深く知るべきだ。

人間の本質である「心の通い」を忘れたかのような「台湾無視」の菅政権を、われわれは許さない。否、菅政権が、任期いっぱい、すなわちあと2年も続くことを許していては、世界中の人々から、日本が軽蔑され見放され嫌われること必定なのだ。

一日も早く、台湾の人々に対して、日本国を代表して正式な謝意を表明することこそ、細やかな心配りをするアジア太平洋地域の人々から日本が信頼される正道なのだ。台湾人の心をわが心にする努力を通して「ヒトの心」を取り戻したいものだ。台湾の独立を支援するといった傲慢で、不遜な言動に走る前に、歴史と現実を冷静に幅広く知る努力を通してのみ、台湾人からヒトの心を学び取ることができるのだ。

日本に真の環太平洋文明が開化することを記念して止まない。

 

悔いなき人生を求める人間の本心

入川保則、余命3カ月の歌手デビュー/芸能・社会/デイリースポーツonline

入川保則、余命3カ月の歌手デビュー
 中村泰士氏(右)から歌唱指導を受ける入川保則(左)=大阪府内のスタジオ

今年1月にがんで余命半年と宣告されながら、延命治療を拒否したことを公表した俳優・入川保則(71)が10日にシングル「脇役」で歌手デビューすることが5日までに分かった。30年来の友人で作曲家の中村泰士氏(72)が去りゆく友への思いを込めて、“名脇役人生”に捧げる楽曲を書き下ろした。入川も「生きてるうちにやれることはやっとかないと」と歌声を残すことを決意。5月31日に最初で最後のレコーディングを行った。

  ◇  ◇

きっかけは今年3月の余命半年宣言だった。昨年7月に直腸がんが見つかったがすでに全身に転移しており、延命治療を拒否した入川は、1月の再検査で医師から「(余命は)8月いっぱい」と宣告を受けたと公表した。

直後、報道を目にした中村氏から約20年ぶりに電話連絡が入った。中村氏は歌手・佐川満男(71)を含めた3人で80年代に「いまだに少年隊」という歌謡ショーを開催するなどしていた30年来の友人。入川は驚く中村氏に軽い調子で対応していたが、冥土の土産に曲を作る、という友人の申し出を断るすべはなかった。「歌ってみないか」という提案を「生きてるうちにやれることはやっとかないと」と引き受けた。

中村氏が作詞、作曲した「脇役」は入川の役者魂を描いた1曲。「幕が下りれば芝居は終わる わが夢芝居 悔いはない」という歌詞に、潔く人生を終えようとしている友人への敬意を込めた。作曲家としてレコード大賞を2度受賞しているヒットメーカーからの“最後の贈り物”に入川も「香典がわりにいい歌を作ってもらいました」と喜んだ。

レコーディングは5月31日に大阪のスタジオで行った。実は「まともに歌ったのは小学唱歌以来」というほど歌が苦手。しかも人生初のレコーディングとあって当日は苦戦したが、最初で最後の歌声は中村氏から「普通の歌手には絶対に出せない突き抜けた域に達した味わいがある」と絶賛されたという。

医師から宣告された余命はあと3カ月。芸歴55年、ドラマや舞台の名脇役として役者人生を全うする入川の人生を集約したような楽曲を書き下ろした中村氏は「歌を作ってあげられたのが単純にうれしかった。あらためて音楽がこんなに役に立つんだと感じましたね」と感無量の様子だった。

「脇役」は10日から「音楽工房 泰士」で配信される。

(2011年6月6日)

 


私自身がやりたいと思っていることを先駆けされている姿に素晴らしいの一言。
悔いなき人生を送りたいのは万民共通の本心の発露ですね。

 

 

 

「奉仕は当然無償」とみなされる日本社会の矛盾

月収15万円「体も心もぼろぼろ」 手話通訳者、過酷な勤務 – MSN産経ニュース

月収15万円「体も心もぼろぼろ」 手話通訳者、過酷な勤務
2011.6.4 21:36

「肩や首の痛みを放っておいたら鬱状態になった。体も心もぼろぼろだった」。長崎県障害福祉課の元嘱託職員の女性(61)は頸肩腕障害になった苦しみを明かす。

1、2時間連続も…頭痛、不眠に苦しむ

発症したのは、手話通訳者として長崎県に採用され3、4年がたったころ。通訳を終えるたびに頭痛がし、夜は眠れなかった。目を閉じてもまぶたの裏に手話をする手がひらひらと映ったのが辛かったという。

夜間や休日も講習会やサークルに参加するなど「手話にどっぷりつかる生活を続けていた」。人の話を無意識のうちに頭の中で手話に変換するほどのめりこんだが、頸肩腕障害と診断された後、仕事以外の活動をやめて、ようやく楽になったという。

手話通訳者は、耳の聞こえない人に手話が見えやすいよう、基本の姿勢は中腰だ。手話の文法は日本語と異なり、外国語の通訳と同じほど神経も使うという。このため、続けられるのは通常、15~20分が限界だが、現状では、講演や会議で休憩なしに1、2時間通して通訳することもある。

「好きでないと続けられない」

ただでさえ重労働なうえに、人手も不足している。全国手話通訳問題研究会によると、平成18年10月に完全施行された障害者自立支援法は市町村に手話通訳者の設置を義務づけたが、22年度末で設置できた市町村は29%にとどまるという。

人手不足の背景には待遇の悪さがあるという。兵庫県内の団体職員の男性(31)は手話通訳者を養成する学校で手話を学び職についたが、月収は15万円。結婚して家族を養うという将来も描けない。「正職員でまだ恵まれている方だが、好きでないと続けられない仕事」という。

頸肩腕障害に詳しい垰田(たおだ)和史(かずし)・滋賀医科大准教授(労働衛生学)は「手話通訳者は聴覚障害者の役に立ちたいという一心で際限なく働き続けようとする上に、簡単に休める環境になく、我慢を重ねて症状を悪化させることが多い。高度な専門技術が要請されることから、人手不足を解消するには計画的な養成と一定の処遇が必要になる」としている。


最近ソーシャルビジネスの本を読みながら、日本社会の包容力の弱さが見えてきた。
これは学術研究や技術開発に対する社会的評価の低さにも通じる問題と思う。
創造性、クリエイティブという概念に対する社会的認識の低さが根底にはあるのではないか。
結局この点が近代史を先導してきた欧米とアジア諸国との本質的相違点だったし、未だにその違いは解消されていないように感じる。