本日2016年10月16日、荒川河川敷で毎年恒例のマラソン大会が開催された。
大会の様子を眺めながら、心の内の燻りが募る。
「1年後の自分」に思いを馳せて新たな決意をブログに残そうと考えた。
ロシアから帰国後派遣社員として仕事を始めて1年後の2002年、最初の健診で肝臓の数値が引っかかり、「C型肝炎」と判明。
どこでもらってきたのか不明だが、おそらくロシア学生時代の健診で背中に注射を打たれたのが原因ではないかと疑った。
以来10数年で血小板数は10万から3万台まで減少、肝硬変の兆候が顕著に。
5万台から鼻血の頻度が高くなる。
焦りを覚える日々を送る中、2014年に「C型肝炎治療のブレークスルー元年」のスローガンの下、待望の新薬が登場。
不安と期待の中で2015年夏より服用開始後、ウイルス消失状態が6か月続き「完治」の宣言を受ける。
人生の新たな門出を迎えた今年2016年となった。
一方、C型肝炎ウイルスは消失したものの、肝硬変に至った肝臓はそう簡単に元に戻らない。
担当医からは「問題がなければ肝硬変に至った2倍の速さで元に戻る」と伝えられたが、現実としてはそう簡単ではない。
鼻血の頻度は下がったものの全く安心できるレベルではなく、右上腹部のシクシク感もまだ消えてはいない。
完治宣言後も体の疲労感が抜けない生活は続く。
特に厄介なのは冬季の鼻血とこむら返りで、年に最低1度は足の甲の攣りによる激痛に苦しむことになる。
2010年頃に子供たちと鬼ごっこで遊んだ際、急激な運動により肝臓が燃えるような状態になり死ぬような思いをした。
それ以来ランニングにも恐怖を覚えるようになった。
何度か早朝の運動を試みたが長続きせず、さらに事務系企業への転職を契機として残業時間に比例し体重が増えることに。
ぎっくり腰に始まり体の節々に痛みを感じるようになってきている。
何とか自分の体を鍛える術はないかと悶々と過ごす中、マラソンへの希望は消えてはいなかった。
実家の弟も地域のマラソン大会に参加していると聞き、自分もいつかは走れる体を取り戻したいと密かな夢を抱いてきた。
そして今日10月16日、その夢を具体的に実行するという決意を新たにした。
(つづく)