ポジティブなリスク認識は心の管理から

自分と自国をも疑う心 – 宋文洲のメルマガの「読者広場」

外国のカントリーリスクばかりが気になるのではなく、自国のカントリーリスクにも着目すれば日本はもっと良くなると思います。「日本は危ない」とメディアで言う人がいますが、どこの何が危ないかはまったくいい加減で、憂国の安売りキャンペーンに過ぎません。本当に危ないと思うならば予防策・対抗策をとるのが人間ではありませんか。

リスク管理は決してテクニックではありません。心の管理です。疑う心、不信の心がリスクへの最強な予防接種です。大地震が日本国のもう一つのカントリーリスクを明らかにしました。それは津波と技術妄信でした。しかし、これらのリスクを抑えるものがあります。それは自分と自国をも疑う心です。


この宋さんの視点は非常に重要だと思いました。
自国を愛するが故に、自国のいい点も悪い点も理解し、それを個人と社会の双方にとってチャンスにしていく。
今の日本の指導層と社会全体に欠けている視点だと思います。

 

人口力が世界を牛耳る時代に(2011年5月25日付世界日報ビューポイントより引用)

人口増加のジャスミン革命(世界日報ビューポイント)

2011年5月25日付の世界日報ビューポイント「人口増加のジャスミン革命」は強烈だ。歴史家の金子氏は中東・北アフリカ地域で革命が連発する理由を非常に明快に説明してくれる。

こうした事件が起きれば、現地から断片的なニュースは入ってくるものだが、暴動の原因がさっぱり分からない。事件がまるで突発的に起きたように映るが、なにか深刻な背景がきっとあるにちがいない。いや、たしかにあったのだった。理由は実に単純明快だった。人口の増加、とくに若年層の人口が急増したこと、とくに若者の人口が増大したことだった。これが並の増加でない。当然、雇用の機会がなく、食料価格が高騰した。今回の暴動の発生地域は大半が石油産出国だし、働かなくても十分生活は保障され、遊んでいても暮らせたものだと思っていたが、現実は20代の若者がなんと人口の半数以上を占めるため、失業者ばかりか、生活困窮者が多いことだった。

日本人にとっては、イスラム教国についてはちょっとぐらい学校で教わっても、また教える方でも理解はむずかしい。アラブ諸国に旅をし、しばらく滞在してもさっぱり実情が分からないのが現実である。反政府騒動だと言われているが、根本は政治的というよりか、若年層の不満の持っていき場がなかったことにあったようだ。

アラブ社会で、いやイスラム教圏で人口問題など聞いたこともない、という人が多いだろう。オアシスからオアシスへと旅するイスラム教徒の中には、生涯50回以上結婚する男は少なくなかった。現在はそんなことはないと言われるが、本当のところは分からない。

ロマンティックなムードを漂わすシルクロードのオアシスも、現実は厳しいはずだ。一定以上の人口は支えきれない。増えれば増えた分を放逐するか、暴動を起こして抹殺する。この“原則”を忘れたのが、今回の近東の騒動の発端である。現在、世界の人口増加は恐るべきスピードである。しかし、ストップをかける萌しが見えない。日本では人口減少化が深刻だ、子供手当だなどと騒いでいるが、世界の現実はそんな甘くはない。間もなく国連は、海外で人口過剰で悩んでいる国から、難民・移民を受け入れよと、半ば強要してくるにちがいない。そのとき日本はなんと答えられるか。

中国然り、インド然り、そしてイスラム圏。ロシアを除く新興国のパワーは「人口」だ。
この世に「人」に優る資産はない。何故ならこの世は「人の世」だからだ。
この当然すぎる事実を西洋圏は完全に忘れている。
忘れていると、いつの間にか自分の隣人は自分と異なる文化圏の人たちになっていくだろう。
実際東京に住んでみるとその兆候はそこここに見える。

こんな時代だからこそ、我々日本人は自身が2000年という悠久の歴史を誇る「国際和合」文化の結実であることを理解すべきなのだ。
これこそが日本人が現代において世界中の民族から受け入れられる歴史的な背景となっている。
つまり漠然とではあるが、世界の人は日本人の中にその素地を認めているのである。
これを日本人が理解した上で真の国際社会構築に尽力するとき、世界は真実の平和社会になっていくだろう。

「大切なのは、自己実現でなく共感だ」

やりたいことがないヤツは社会起業家になれ やりたいことがないヤツは社会起業家になれ
(2009/04/22)
山本繁

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先回の書評である『「社会を変える」を仕事にする』を読む前に読んでいた山本繁氏の意欲作。
これも残りを一気に読んでしまった。
(いつまでも未読状態にしておくのは心身ともに悪い)

何といっても、以下の一言が彼のビジョンを明確に表している。

『大切なのは、自己実現でなく共感だ―』

学生起業家だった同氏がある事件をきっかけに自分の人生の目的を見失い、自殺まで考えてたどり着いた常夏の島。
そこで得た答えが「自分の中にニーズはない。だったら他人のニーズのために生きればいいんじゃないか」というインスピレーションだった。
その動機が彼をして「社会起業家」の道を切り開かせる原動力となっていく、正に新しい人生のストーリーだ。

以下に自分自身が共感した内容を連ねる。

『社会企業家に興味をもったものの、何をすればいいのかわからない人も多いかもしれない。誰だって最初はそうだ。まだテーマに、つまりニーズに出会っていないからだ。しかし、僕もそうだったように、追い求めるべき“北極星”は、きっとあなたの内面にある。…何でもいいから連想して、自分をふり返ってみてほしい。自分の中のキーワードがいくつか浮かび上がってくるはずだ。今は過去と繋がっている。未来へのヒントは過去にあると思う。』

『自分史をふり返って自分の個性や強みが見えてきたら、今度は友人でも親でもだれでもいいから、空っぽの心で他人のニーズに耳を傾けてみてほしい。身近な人の声が社会のニーズを知るヒントになる。』

『社会起業に興味はあるけれど何をしたらいいかわからないという人がいたら、フットワークを軽くして何かに参加してみてほしい。現場に行けば、新しい刺激が待っているはずだ。』

『一般的には、やりたいことを仕事にするものだと考えられているようだ。しかし、仕事は手段である。そして、すべての仕事は、「誰か」を「何か」で「笑顔」にすることだと僕は思う。…彼らの声に共感が深まるほど、何とかならないものかと一緒に頭を抱えるようになる。そして、まわりを見渡してリソースを探し始める。』

『やがて、あるラッキーが起きる。ニートの若者が社会に復帰したり、漫画家の卵に家を安く貸してくれる大家さんが見つかったり、中退しようとしていた学生が何か新しいきっかけを掴んだりする。僕らは思う。こんなラッキーがもっとたくさん起きればいいのに、と。そして、ラッキーを細かく分析し始める。なぜそのラッキーは起こったのか。ラッキーが起こる確率を上げるには、どんな仕組みが必要なのか。多くの人に奇跡が起こるように、仕組みづくりをする。これこそが社会企業であり、新たな社会問題解決の手法である。』

無縁社会を彷徨している若者たちにとって、彼の言葉は眩い光で溢れている。

ソーシャルビジネスにみる若者たちの機動力

「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方 「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方
(2007/11/06)
駒崎弘樹

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昨日一日で一気に読んでしまった。非常に読みやすく編集されているからだとは思うが、それだけ著者とサポーターの思い入れが強いと実感した。

今後の自身の活動指針を明確にするためにも、特に肝に銘じておきたいヒントをピックアップする。

問題はつねに、それを生み出す構造がある、そして、その構造に着手しなければ、真に社会問題を解決することはできないのだ。

僕たち社会起業家は、事業を通じて社会問題を解決するモデルを創り出す。あとは、多くの人にそのモデルを真似てもらったり、或いは行政が法制化したりすることでそのモデルが全国に拡散する。
同時に、実際の現場の知識をもってして、誰よりも鋭く制度の欠陥を見破り、政策立案者たちに代替案を届けていく。文句ではなく、クリエイティブな解決方法をあらゆる方法でプロモーションし、政策化をあと押しするのだ。

社会起業家が行うソーシャルビジネスは、たとえて言うと、砕氷船のようになるべきなのだろう。南極の氷を砕く機械を搭載した、小さな、しかし力強い、機動力のある船。その船がそれまで通れなかったところに航路をつくる。タンカーや豪華客船である国や自治体や参入企業は、その後ろを通っていって、規模の大きな仕事をすればいい。

僕たち一人ひとりが社会起業家となって、そうしたソーシャルベンチャーを立ち上げ、育て、羽ばたかせていかなくてはならない。或いはプロボラのように自らの専門性を活かして、ソーシャルベンチャーに欠けている技術を補い、ブレークスルーを起こすことだってできる。政治家や官僚だけが世の中を変えるのではないのだ。「気づいた個人」が事業を立ち上げ、社会問題を解決できる時代になっているのだ。

僕は確信している。なぜなら、僕のような門外漢のド素人によって東京の下町で始まったモデルが、政策化され、似たような事業が全国に広がっていったのだ。自らの街を変える、それが世の中を変えることにつながっていったのだ。だとしたら「社会を変える」ことは絵空ごとではないはずだ。一人ひとりが、自らの街を変えるために、アクションを起こせばいいだけなのだ。

「社会を変える」を仕事にできる時代を、僕たちは迎えている。

NPOが認知されはじめ、社会起業家も、若手を中心にどんどん生まれはじめている。ホームページを作ってインターネット上に公開すれば、あなたの志に共鳴する人たちがメールによってその声を届けてくれるだろう。見知らぬ人たちが難病を持つ子供たちに涙し、家にいながらネットバンキングで大量の寄付を振り込んでもらえる時代なのだ。なんというチャンスだろうか。

正直言って、このような事業に取り組むうえで、若者ほど機動力を有する存在はない。
自分のような子持ち家庭は活動範囲が限られてしまう部分はどうしても否めない。
しかし最も問われているのが強い問題意識と問題解決の意欲だとすれば、まだまだ若い連中に負けるわけにはいかないと思う今日この頃である。

永世の道と昇華祝福時代

スイス・ジュネーブ大会 | 世界基督教統一神霊協会(統一教会)公式ホームページ

「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の御言(抜粋)

人間個々人の人生を見ても、三段階の人生を簡単に知ることができます。人間は誰もがまず神様の恩寵と父母の愛で生命が宿ると、十月十日という長くて短い期間を母親の胎内で過ごすようになります。

意識水準がどの程度であっても、私たちは胎内で十月十日の期間を例外なく経て生まれてきました。保温釜の中よりも狭い空間であっても、その中で私たちの人生は宇宙空間よりも大きな一段階の人生を経験するようになるのです。

第二段階である地上の人生としての誕生はどうでしょうか?未知の世界に向かう幼い胎児の身悶えする姿を私たちがどうして筆舌に描くことができるでしょうか?より大きく広い世界、腹中世界で想像もできない新しい次元の世界に向かって出発する新しい生命の産声は百年の計を約束する新しい時間と空間の祝福であり、歓喜です。

今日皆様すべては、この第二段階での人生を祝福され、過ごしています。十月十日という時間が百年に延びただけで、私たちには行くべき道がまだ残っているということを忘れないでください。胎中での意識基準はすべて忘れ、より高い意識とより広い空間で心ゆくまで人生を楽しんでいると考えるかもしれませんが、皆様には永生に向かって最後の段階が残っているのです。

第三段階がまさに人間が完成し、入って生きる永生の世界、すなわち霊界です。堕落した後裔である人間としては想像もつかない未知の世界です。時空を超越して生きる世界です。腹中の胎児が地上界を想像することができないように、地上界で空気を呼吸して生きる肉身を用いた人間では、霊人体として生まれ、真の愛を呼吸して生きる霊界での生活を簡単に理解することができないでしょう。

皆様!

死に直面すれば、人間は恐れおののくようになります。恐怖を感じるようになります。それは死が何を意味するのか分からないからです。不幸にも人類歴史が六千年期間を経てきながらも、誰一人として死に対する真実を明かし、教えてくれた人が一人もいませんでした。しかし今や歴史の終末期になり、人類の真の父母が初めてその天秘を明かしてくれるのです。

皆様、死という単語は神聖な言葉です。悲しみと苦痛の代名詞ではありません。それで真の父母様がその単語を「昇華」という言葉に変えて発表しました。地上界の人生を花咲かせて実を結び、穀物を抱いて歓喜と勝利の世界に入る時が霊界入門の瞬間です。喜ぶべき瞬間です。心ゆくまで祝って送り出してあげるべき時です。悲しみの涙ではない喜びの涙を流してあげるべき時です。

昇華式とはこのように神聖で崇高な儀式です。神様の懐に入って侍り、永生を楽しむために行く第一歩なのです。花嫁がお嫁に行くその瞬間よりも胸が躍って興奮すべき時です。

このように貴い永生への門を開くために、私は去年3月18日ニューヨークのUN本部で最近、永眠した世界的平和指導者たちに昇華式を実施してあげました。かつて韓国動乱の時は、私が収監されていた興南刑務所を爆破し、私の生命を救ってくれたこともあるアレクサンダー・ヘイグ元アメリカ国務長官を始めとして、ノーベル平和賞を受賞した韓国の金大中元大統領、最近発生したハイチの大地震の惨事で殉職したヘディ・アナビUN奉仕隊団長と隊員百数十名、平和の大統領として世界に広く知れ渡るカラソ元コスタリカ大統領、障害のある身でも人口二億を超える大国インドネシアのために生涯身を捧げ、献身してきたワヒド元大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領とレーガン元アメリカ大統領の出会いを仲介し、冷戦終息に共に功を立てたヘルマンソン元アイスランド総理、イスラム圏の代表的学者として尊敬を受けたセネガルのハサン・シセ氏、十一億インド人たちに「和解と平和の大使」として称賛されたシンヴィ大使たちです。

その他にも最近、韓国では天安艦沈没によって将兵たち46名が不意に戦死しました。

私たち夫婦は去年4月、韓国での主要都市巡回講演を通して、その無念なる犠牲将兵たちのために昇華祝福の恩賜を施してあげ、その後にもアメリカのラスベガス大会では、日本の歴史上一番最後の将軍として、17世紀に日本列島を統一した徳川家康の17代後孫、Dr.レイコの昇華祝福をなしてあげたりもしました。その方は、生涯与える人生を生きて最近昇華したラスベガス出身の女医師であり、今後、韓国と日本、アメリカ、さらには世界平和実現のための政治・経済等、諸般問題などを解決するのに大きな役割を果たした方なので、このように貴い昇華祝祭の隊列に参与するようになったのです。

指導者の皆様!

しかし上記に列挙した方々の生涯が、たとえ利他主義と博愛主義に立脚した偉大な人生であったとしても、人類始祖の堕落によって神様との父子の関係が断絶された現世界では、真の父母の結婚祝福と昇華祝福がなければ、永生の世界を保障されないということを肝に銘じなければなりません。


朝の訓読会ではっとさせられた御言。
今こそ我々が本当に知るべき人生の意義だ。

 

インスピレーションに満ちた会議運営

出社前に近くのカフェを覗いてみた。
最近は朝から外でコーヒー会議を行うプロジェクトチームが増えていると思う。
ここではたと、我が統一運動のアドバンテージに気付いた。
★ 会議は祈りに始まり祈りに終わる
★ 訓読+御言を中心とした展望
★ 関係者間の証詞と心情交流
このような会議運営をどのような環境でも実行しているのはキリスト教会でもおそらくそれほど多くはないだろう。
学生時代からずっとこの形式の会議が当たり前だったので、その価値に気付くことが少なかった。
人と人との真摯な交流は、天の意思が介在することで心霊と知能を復活させる原動力となる(原理講論第3章第5節)。
真の父母より受けた価値ある財産を誇ることのできる自信と、それを人々に示すことのできる実力、この2つが我々の行くべき道を直くしてゆく。

日本になびく「鉄のカーテン」

情報隠蔽で世界の孤児になりつつある日本。もはやチェルノブイリ当時のソ連以下かもしれない|週刊・上杉隆|ダイヤモンド・オンライン

原発事故情報の“鉄のカーテン”は
もはや旧ソ連以上かもしれない

この2ヵ月間、日本では、政府とメディアが一体となって情報隠蔽を繰り返したため、世界中が不信感を表明することに至った。いや、そもそも地震発生直後から、クリントン米国務長官やメルケル独首相らに隠蔽体質を批判されている。

〈ドイツでは、福島第一原発の爆発や火災などに関する日本政府の対応について、不信感を強調する報道が目立っている。

被災地で救援活動を行っていた民間団体「フメディカ」の救援チーム5人は14日、急きょ帰国した。同機関の広報担当者シュテフェン・リヒター氏は地元メディアに対し、「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している。チェルノブイリ(原発事故)を思い出させる」と早期帰国の 理由を語った。

メルケル首相も記者会見で「日本からの情報は矛盾している」と繰り返した。ザイベルト政府報道官は、「大変な事態に直面していることは理解している。日本政府を批判しているわけではない」と定例記者会見で釈明したが、ドイツ政府が日本政府の対応にいらだちを強めていることは間違いない〉(2011年3月16日17時48分 読売新聞)

少なくともこの2ヵ月間で、日本政府は、WHO、IAEA、グリーンピースという3つの国際的な機関と団体を排除し続けてきた。それは世界からみれば、情報隠蔽以外の何ものでもない。

日本が世界の孤児となりはじめている現実を、政府もメディアも国民も直視しなければならない。もはや日本は1986年当時のソ連を笑えなくなっている。

少なくとも、当時のソビエト政府は、事故発生一ヵ月後には住民の強制移住を完了させ、国際機関の査察を受け入れている。

情報公開に関して、現在の日本は、東西冷戦時代の共産国家のそれよりも酷いのかもしれない。


今の日本政府の状況からして、いつかは同様な事態が発生すると危惧していた。
「日本共産主義」の出現だ。
一番の問題は、これによって若者以降の世代が物理的にも精神的にも一生の被害を受けることだ。
そのことを旧ソ連留学でいやというほど見せつけられた。
このまま手をこまねいていれば、国民の知らぬ間に文化共産主義者たちの策略によって暗黒の時代を迎える。
まずすべきことは現行政府を年度内に完全に変えることからだろう。
これはある意味「反共産革命」と言ってもいいかもしれない。

 

スタッフを忘れた経営者?

ゲンダイネット – 東電がJALにならない奇々怪々

【政治・経済】
2011年5月14日 掲載

東電がJALにならない奇々怪々
あまりに理不尽なゾンビスキーム

東電救済スキームが13日、正式決定したが、さっそく国会では、「なぜ、東電はJALのように処理しないのか」と追及された。JALは会社更生法で破綻し、事実上の公的管理の下、100%減資、金融機関は債権放棄した。それなのに、東電は補償は無限なのに、国有化もせず、借金もそのままで、社債も保護される。13日になって枝野官房長官が金融機関の貸し手責任に言及したが、その行方は不透明。揚げ句が電力9社が金を出す新機構設立で全国的な電気代の値上げ必至のスキームなのである。

国民の批判をかわすため、菅首相と海江田経産相は歳費返上を言い出したが、ええかっこしいのパフォーマンスだ。政治責任を感じているのであれば、国で補償してやればいい。東電に責任を押し付けるふりをして、結局、国民に負担を付け回す。自分は責任から逃げて、そのくせ、形式的に歳費だけは返上する。菅の卑しさが見えてくるが、そんなことをしなくても、東電の賠償問題をスッキリ解決する方法はあるのである。

中でも注目されているのが、産業再生機構で活躍した現役の経産官僚、古賀茂明氏が提言した「東京電力の処理策」だ。古賀氏のプランは、会社更生法や民事再生法に近い形を取り、東電の資産売却を進め、株主責任、金融機関の貸し手責任も厳格に求めるものだ。このスキームであれば、国民負担は5兆円近く減るという。

処理スキームは2段階。まず特別立法で「東電経営監視委員会」のような独立組織を設立する。ここが管財人の役割を果たし、東電の資産査定や賠償額確定作業と並行して株式の100%減資、銀行の債権放棄を実施する。最終的には東電を発電会社と送電会社に分割し、発電に関する資産は順次売却する。送電会社は再上場を目指す。この案を採用すれば、発電送電分離が実現し、競争原理が働き、電気代は下がっていくし、東電は発電資産の売却で巨額資金を得られて、人員整理などのリストラも進められる。国民負担なしで、賠償資金を得られるのである。

「東電ほどの大企業ならば企業価値の算定にはプロを使っても半年はかかります。株主責任を問わず債権放棄も求めない今のスキームは拙速だし、野党の理解は得られないと思います。原発事故後、金融機関は東電の資金繰り維持のために2兆円を融資した。これを債権放棄させるのは厳しいという意見もありますが、銀行はボランティアで融資するわけではない。リスクは当然負わなければなりません。このままだと被災者への補償の前に、銀行へ返済されてしまいますよ」(古賀氏)

利害関係者が責任を負う当たり前の案をツブしたのは銀行だ。債権放棄があいまいな政府スキームは東電のメーンバンクが作ったとされる。賠償金は税金と電気料金でまかない、銀行の懐は一切痛まない都合のいいスキームだ。これに保身が全ての経産官僚が飛びつき、官邸も乗った。これが真相だからフザけている。ジャーナリストの有森隆氏はこう言う。

「減資もしない、貸し手責任も問わない。経営責任もいい加減で、会長、社長は次の株主総会で辞めてしまう。退職金はないというが、多分、給料に上乗せされているので、手付かずで終わってしまう。これじゃあ、誰が責任を負うのか。電気料金値上げを押し付けられる国民ですよ。それも大口利用者には特別料金体系があるので、小口利用者である庶民にシワ寄せが行ってしまう。法案の細部の詰めはこれからですが、国民は、よくよく監視しないといけません」

JALも最初は大甘スキームだったが、結局、破綻した。東電も甘い処理は許されない。


これはいくらなんでも酷すぎる。
これでは国の経営者が国のスタッフを生活基盤を破壊してなおかつその修繕経費をスタッフから徴収するのと同じ。
国民をさしおき、その一部でしかない大企業を先立たせてどうするの?
政府は国民全体を見つめてこそ初めて国の政府。
全ての原点はそこにある。

 

キャリアアップはなぜ必要なのか?

現在自分はキャリアアップを指向している。
要するに「転職活動」中である。
諸所の事情はあるものの、自分を高めたいという意思は常に自分の中に蓄積されている。
今日は某企業の会社説明会に参加してきた。
「ライフプランナー」という仕事に関心があり、実際の業務について理解を深めたいという希望があったためだ。
参加前に近くの教会で祈りを捧げながら、自分の良心に「道を示してください」と尋ね求めた。
説明会に参加後、改めて考えさせられたのは「ライフプランの目的」ということだった。
自分を含め、多くの人がキャリアアップを目指している。
大多数の人々の目的は、それを通じて人生の価値を高めたいという願望からきている。
ではその願望は一体どこから生じているのだろうか?
これに対して「正解」与えることのできる人間はいない。
なぜならこの世ではその答えが「人それぞれ違う」からだ。
しかしよくよく考えてみると、大多数の人間は自己を高めたいという願望を持っていることから、ここに何らかの共通項が存在していることは想像に難くないし、当然共通項があって然るべきだ。
実は、我々の動機は我々が元から持っているものではない。
人間には必ず「親」、つまり「原因的存在」が存在する。
当然ながら我々の「親」も、「なぜキャリアアップをしないといけないのか?」という質問には答えられないだろう。
ただ一つだけ言えることは、「親」は誰しも「子」に対して立派な人間になることを願っている。
具体的には、「親」は我々自身が「大人」になって「生涯の伴侶」と家庭を築き、自己の能力を発揮しながら社会に貢献していく姿に喜びを感じる。
我々はその「親」の願いに応えるため、これらの「目標」を目指し、生きがいを見出していくのである。
統一思想ではこれを「連体」とよび、「全体目的」と「個体目的」が完全に調和されている状態をいう。
これが正に「宇宙の根本目的」となるのである。
この「連体」という概念がわからなくなってしまったのが今の我々の社会だ。
根本に「親」である神の願いがあることが感じられない、もしくはそこから引き離されてしまっているから、自分の人生の価値を過小評価して自ら命を絶ったり、逆に過大評価の中で傲慢不遜な「問題児」になったりする。
だから人々は絶望の中で呻吟している。
これに気付かない限り、人間は永遠に真の人生の価値を見出すことができない。
いわゆる「ライフプランニング」も、この根本原理の上に成り立つものであるはずだ。
つまり「ファイナンシャル」な部分は技術的な側面であって、根本的には真の「ライフバリュー」の追求が求められてくる。
自分がまずもってすべきことは、この「真の人生の価値」を自分の中で見極めながら行動していくことであることを再確認した。
天の深遠な配慮に感謝を捧げる。

日本のリスクは「見ざる、言わざる、聞かざる」

武田邦彦 (中部大学): 「被曝場」と化した学校・幼稚園

かつての日本のほのぼのとした、木訥でも尊敬できる先生方がおられた小学校、中学校はすでに無いと言われています.

それは社会の変化があり、ご父兄が先生を尊敬しないこともあり、また日教組の一部の活動も原因しています.

そして、今は文科省を頂点とした軍隊組織のような古い上意下達の組織になっています.

でも、このようなことはすべて「大人の事情」であり、それで子供が被害を受けるのは可哀想です.

どんなに社会が曲がっていても、どんなに悲惨な仕打ちを受けても、それに立ち上がるのは個人の人間の魂でしょう.


武田教授がブログで必死に訴えている。
教授の指摘について批判的に取り上げる評論家もいるにはいる。
自分は専門家でないのでその真偽は評価できない。
しかし教授の意見がマスコミで取り上げられる機会は非常に少なく、ネットユーザーに限定されていることは確かだ。

彼の指摘を聞いて感じたこと、それは日本最大のリスクである。
そのリスクとは「見ざる、聞かざる、言わざる」の社会状況である。
つまりマスコミで持ち上げられた知識人の「鶴の一声」がすべてであり、それ以後国民は思考停止状態に陥ってしまう。
意見が出しにくい環境、意見を出すと「余計なヤツ」と看做されるという恐怖心、全てが自由意志の発露を塞いでいく。
実は日本にもそこここに穿った意見を主張する方々は多いのである。
しかしそれを自身の行動でその真偽を確かめようとする人々があまりにも少ない。
ここに日本がバブル以降ずっと元気が出ない根本原因があるのではないか?

これを変革していく意思と精神力が現代日本人に備わっていると確信を持って言うことはできない。
明治維新の志士でさえ、日本の変革に外国勢力の力を必要としたのである。
ただし彼らは外国勢力の管理には成功した。
一方、今の日本国民に周辺大国に対して明確な自己主張を行う力が備わっているとは言い難い。
我々はなによりもまず、自分たちのスタンスを確立する必要があるのだ。
しかし現代は非常に複雑化しており、人智だけで正しい展望を見出すことは困難だ。
今日ほど天道に耳を傾ける謙虚な精神が必要とされている時代はないのである。