非公式な組織がその埋め合わせをし、ホームレスの人々を助けたり、病院でボランティア活動をしたりしている。目覚めた人々がいて、彼らが非公式な制度として、隠れた「心ある政府」として機能しているのだ。
災害は、彼らの存在を求めるだけでなく、顕著に光をあてるのだ。この世は資本主義だと言われるが、こうした非公式な制度が多くの生命の持続を可能にしていることを忘れてはならない。
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そう考えると、われわれは今、なんと災害の起こりやすい時代にいるのだろうか。貧困問題、過剰な都市開発計画、気候変動など、われわれを脆弱にする要素は枚挙にいとまがない。そうしたなか、自分たちが誰で、どんな人生を送りたいかを考えることは、今、非常に貴重なことだと私は思う。
われわれは、ともすれば、心理的な私有地の中に生きていると思いがちだ。人生とはプライベートなもので、愛もロマンスも家族も消費も、休暇までもがプライベートなものだと感じてしまう。だが、それは本当に私たちが望んでいる世界なのか。災害の際に見せる人間の姿が人間の本質だとすれば、その発露を阻む日常は、別のかたちの災害ではないのか。是非考えてもらいたい。
今こそ人類の根本問題が解かれる時代。
人々がこれを平和裏に成し遂げることができる道を選ぶのか、それとも災害と戦争によって自らに裁きを与える道を選ぶのか、その分かれ目に我々は位置している。
こういう時だからこそ、自分たちの生きる意義を日々見つめ直すことがとても大切だと思う。
我々は不幸になるために生きることを望んでもいないし、幸福になるために必要な能力が与えられているはずなのだから。