資格とのつきあい方がよくわかる本

もう、資格だけでは食べていけない

もう、資格だけでは食べていけない

  • 作者: 横須賀てるひさ
  • 出版社/メーカー: すばる舎
  • 発売日: 2011/04/16
  • メディア: 単行本
 
ごく普通の人でも資格を取ってきちんと稼げる本

ごく普通の人でも資格を取ってきちんと稼げる本

  • 作者: 横須賀 てるひさ
  • 出版社/メーカー: インデックス・コミュニケーションズ
  • 発売日: 2009/03/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
資格起業家になる!成功する「超高収益ビジネスモデル」のつくり方

資格起業家になる!成功する「超高収益ビジネスモデル」のつくり方

  • 作者: 横須賀 てるひさ
  • 出版社/メーカー: 日本実業出版社
  • 発売日: 2006/12/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
前職の頃から特に強く考え始めたことだが、これまでの人生で「手に職」といった技術や知識を身につけてきたわけでもない自分にとって、将来的な経済基盤の形成は非常に重要な人生のテーマとなってきた。
そこからいわゆる「資格」とか「士業」といったものに関心が強く向くようになった。
自分の仕事(翻訳関連)とのつながりでは特許分野が比較的近いようにも思えたので、その方面の会社に挑戦したこともあった。
また昨年来会計関連試験に向けた勉学にも取り組んではいる。
ただ結果的にはこれまでのところ自分の専門分野として定着していないので、いまだ趣味段階で留まっているというのが現実だ。
今の時代、いつ職がなくなってもおかしくない。サラリーマンは戦々恐々とした生活を送っている。程度の差こそあれ、誰もが会社に頼らずに生活の糧を得る必要性を感じている。国も会社も頼りにできない時代を生き抜く力が必要だというのは国民共通の認識だろう。
でも実際には事はそう簡単ではない。無から有を生み出すことは誰もができることではない。だからこそ人々は「需要」の見込める場所に集まろうとする。その機会を提供してくれるのが「資格」だと信じて。問題は、その「資格」なるものと取得すれば自動的に仕事が入ってくると錯覚していることだろう。確かに過去にはそういう時代もあっただろうが、今は士業も時代の流れには逆らえない。
「資格起業家」の育成を目指す横須賀氏の3冊の著作を読書後、「自分のやりたいことは何なのか?」という根源的なテーマについて改めて考えさせられた。別に「資格」という問題に限らず、我々は忙しさにかまけて最も重要なことをすぐに忘れてしまう。否、忘れてしまうのではなく無意識のうちに避けようとするというのが現実だろう。でもそれではだめですよ、というのが著者の主張であり、我々が今の時代に忘れてはならない課題なのだ。
著者自身は「資格」の価値をはっきり認めている。自己の人生において唯一の武器となり、信頼の醸成に役立った「資格」。しかしだからこそその問題点も明確に指摘している。「失敗する多くの人が、「自分」ではなく「資格」を中心に考えてしまっています」と著者はいう。「資格を取ってどのような状況を実現したいのか?」ということをうやむやにしてはやっていけない時代にいるのに、往々にして「資格取得後の人生戦略についても、誰かに答えを聞いてしまう」ということが発生する。現行教育制度の問題もこれも同根だと考えられる。
資格ものの書籍については当ブログで何度かコメントを書いているが、今回はその記述の中で自分の将来像を整理してくれる内容があった。
結論から言うと、最終的には自分固有の「コンテンツ」を持たなければならないという話だ。
士業に限らず、自分が仕事において究め、他の人にそれを伝承することのできる一分野を如何に確立するか?
毎日時間が洪水の如く流れていく現状の中で、決して譲ることのできない自分の目的を明確にするための訓練だと理解させてくれたシリーズだった。
 

割り切れる柔軟性が必要な国

経営改革のためのERP導入―ユーザダイレクトで実現する!

経営改革のためのERP導入―ユーザダイレクトで実現する!

  • 作者: 鈴木 忠雄
  • 出版社/メーカー: 日経BP企画
  • 発売日: 2007/01
  • メディア: 単行本
 
最近あるきっかけを通じてERPに興味を持ち始めているが、図書館に行ってようやく見つけてきた本がこれだった。
正直内容が抽象的でよくわからない部分も多いのだが、その中で心に引っかかる内容が出てきた。
「例えば欧米の企業では、パッケージソフトの導入を自社でやってしまう会社が多く存在します。・・・それで“凄いですね”と言うと、“それが当り前ではないのですか”と逆に聞き返されてしまいます。欧米では、“自分たちで導入できないのなら、なんでパッケージソフトを使おうと考えるのか”という感覚なのでしょう。日本と欧米では、パッケージソフトに対する考え方が全く違うのです。
日本では、やはりパッケージソフトを情報システムという“聖域”としてとらえてしまい、そこはプロフェッショナルであるシステム開発会社や情報システム部門といった専門家がやるべきだ、という固定観念があるのです。・・・これでは、今後自分が使うことになるパッケージソフトの業務プロセスを理解することもできませんし、また導入後に使いこなすこともできません」
「この背景には「国民性」というものも関係しているのではないかと思います。例えば日本では、パッケージソフトを導入するとなった場合、まずパッケージソフト自体の検証から始めるのです。このパッケージソフトは本当に自社の業務プロセスに適しているのかと疑ってかかる。それだけで、約半年は時間をムダにしてしまいます。
一方、欧米では、パッケージソフトはベストプラクティス(最適な実践方法)の集合体なので、信用に足る導入実績などがあれば、それにそのまま乗っかればいいという発想です。・・・こうした発想を経営者自らが持っていて、パッケージソフトの導入をトップダウンで進めるのです。日本でこうした経営者が一般的になるためには、もう二世代ぐらい世代交代が進まないと難しいのではないかと思います。
しかし今の企業を取り巻く環境は、めまぐるしく変化しています。それに合わせて考え方も柔軟に変えていかなければ、将来の生き残りも難しくなってきます」
同書が指摘するように、「IT」は情報システムの専門家だけにしか扱えない専門的なものではなくなりつつある。結局、今までの日本の経営者はITを情報システムに「丸投げ」していたというのが実情だと。しかしこれからは「“道具”としてのITの機能を、経営トップや経営企画部門が十分に学習しておく必要がある」ということだ。決して「ITの技術的な成り立ちを理解するということではなく、そのITによってどんなことができるのかを知っておくということ」が重要となってくる。
ここまで読んで思ったこと。やはり日本人は基本的に「匠」の文化、つまり職人文化なのだなということだ。「匠」は「匠」の意向を尊重し、口出しをしない。情報システム部門は日本人にとって「匠」の領域となっていて、決して単なる「道具」とはみていないのだろう。これでは確かに欧米の経営者についていけないわけだ。
専門家に対する尊敬の念は決して悪いことではないし、それがあったがゆえに日本の高度成長時代も存立しえた。画一的なソフトウェアの世界に満足できず、独自の指向性を追求する国民性は十分理解できる。しかしそれは世界的にみれば異質な世界だし、別の意味でのムダを発生させる危険性を持っている。ここにバブル崩壊後の日本社会の凋落が象徴されていると感じるのは自分だけだろうか。
日本のレガシー文化である「匠」は残していくべき民族的遺産だ。しかし変化する世界に生きる我々に必要なのは、時代に対応する柔軟性だろう。つまり割り切れない部分と割り切れる部分を見定める能力が不可欠な時代となっていることを、日本国民全体が意識するようになることが必要だと思う。
 
「いい大学」といった空想の中で親も先生も思考停止状態となっているような教育体制、「いい会社」「安定した収入」への偏重に傾く社会的価値観、こういったものにいつまでもしがみつくことが国を滅ぼす要因となっていく。そこに国全体が気付いてこそ、日本人は世界に通用する人材を輩出できる国となるのではなかろうか?
 

「無縁社会」と宗教界の課題

お寺が救う無縁社会 (幻冬舎ルネッサンス新書 き)

お寺が救う無縁社会 (幻冬舎ルネッサンス新書 き)

  • 作者: 北川 順也
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2011/04/20
  • メディア: 新書
前の2つの投稿で、現代日本の抱える根本問題を考察してみた。
しかし無論、人々はただ単純に手をこまねいているわけではない。
「無縁社会」という空虚な空間が広がる中、人々は昨年の東日本大震災とも相まって「絆」を求めようとする心を高めようとしている。
これに呼応する形で立ち上がる人々が出てきているのは希望だ。
そのうち基本的に宗教の教理を介さないグループがいわゆる「社会起業家」と呼ばれる人たちであり、このブログでも何度か紹介した。
では宗教界は何もしていないのかというと、実際に意識のある方々は増えつつあると思う。
その一例として、上記の著作を取り上げたい。
 
著者は仏教界の人間だが、現代の「葬式仏教」に大きな危機感を覚える有志であり、そのための代案を提示しようとしている。
「宗教法人はその税制上の優遇措置により、公益性という機能を通じて人々にその代価を支払う義務を有している」といった主張に感銘を覚えた。
「「企業の社会的責任(CSR)」という概念が宗教法人に適用されること自体違和感があるが、それを強調せざるを得ない状況が宗教界にある」ことに対して率直な反省を表明している点について、非常に大きな示唆を与えられた。
翻って自分自身はどうだろうか?
常に反省すべき人生だと痛感させられるのである。
 
 

「エンバーミング」の考察

エンバーマー

エンバーマー

  • 作者: 橋爪 謙一郎
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2009/01/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
数時間で一気に読みこんでしまった。
最近まで「エンバーミング」という言葉の意味を知らなかった。
いわゆる「ミイラ」に近い意味なのかなと思っていたのだが、実際には「おくりびと」に近い内容だったことが分かり非常に面白かった。
実際、著者は映画の製作にかかわっているところも初めて知った。
「エンバーミング」、それは遺体の修復と遺族のケアを総合的に提供するサービスである。
アメリカにはなんと「葬儀大学」なるものがある。
そこでは正に人間の精神と肉体の問題について非常に高度な知識を学ぶ機会があるという。
著者は葬儀屋の子供として生を受けたが、その環境に耐えられず上京してビジネスで成功する。
しかし最終的には自分の人生を賭ける生き方に目覚めて渡米。
日本人として初めてこの知識体系を学ぶ機会を得、帰国後にそれを展開している第一人者。
彼の功労により、日本でもようやく「グリーフケア」という概念が芽生えてきているようだ。
遺族を失った悲しみ、それを乗り越え人生を新たに出発するためのサポートを行うという、非常に奥の深いサービスである。
様々な課題はあるにせよ、こういうサービスをビジネス化し展開できる米国の力量には頭が下がる。
自分としては著書に記された彼の言葉に心を打たれた。
「子供向けのグリーフケア」という題目である。
「日本よりも進んでいると思われているアメリカでも、実は、子どもにきちんと「死」や「葬儀」について説明できない大人が多い」という。
しかし「子供が理解できないのではなく、それは、大人が、子供が理解できるように伝えられていないだけではないか」という回答を得るに至る。
著者の見解では、死生観については子供も大人も同じく共有できるという。
そして「自分自身を知らずに、相手と接していると、全てを自分の知っていることにあてはめようとする傾向、つまり「押しつけ」になる」と述べている。
我々はこのことを謙虚に見つめるべきではないだろうか?
現代社会で片隅に埋もれてしまっている「死生観」、これを見つめる感性は子供の方が強いかもしれない。
何のために生きているのか、そういう問いに対する感性は子供の意見に耳を傾けることでみえてくる部分もあると思う。
小さな子どもは親との関係が全てであり、それが人生の基本となるからである。
この根本的な関係性を基礎に置く人生こそ、我々が追求する幸福の基本にあるのではないだろうか?
ただこの社会は「グリーフケア」と呼ばれることからもわかるように、「死」が「悲しみ」という意味でしか捉える事の出来ない状態にある。
本当に「死」は「悲しみ」だけなのだろうか?
本来的にはこのレベルまで「死」の定義を行う必要があると思うのだが、我々人類は「死」に対する根本的な意義を見いだせず、歴史は流れてきたのである。
しかし徐々に変革の足音が近づき始めている時代に我々は生きているということもまた、紛れのない事実だと思う。
 
 

「自然に還る」を超えるべき人生の最期

墓は、造らない 新しい「臨終の作法」

墓は、造らない 新しい「臨終の作法」

  • 作者: 島田裕巳
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2011/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
仏教界と葬儀業界に衝撃を与えた島田裕巳氏の「葬式は、いらない」。
喧々諤々の批判もあったようだが、現代日本人の心象にマッチする部分が大きかったのだろう、いまでは「家族葬」を超えて「個人葬」なるものまで定着しつつある。
「カネをかけてまでなんで葬式?」「残される家族に迷惑はかけられない」といった、「節約志向」というのか、「エコ」というのか、そういった感覚で葬儀がみられるようになっているのが現状だ。
昨年同氏はさらに理論を展開させ、「墓は、造らない」というところまで行ってしまった。
確かに葬式の後は墓の問題が出てくるのは当然の成り行きだ。
背景にあるのは「檀家制度」という、江戸時代のキリシタン迫害を背景とした仏教ベースの偏屈な行政制度だ。
これが現代社会に全く合わなくなったために、いわゆる「無縁社会」という大きな問題を引き起こす結果となった。
この問題をさらに助長したのが高度経済成長に起因する葬儀の形骸化だろう。
同氏の批判もこれをベースとして為されていることは明白だ。
 
同書には「葬式宗教」と化した現代仏教界に対する批判が幾重にも出てくる。
関東と関西で遺骨の取り扱い方が違うということは初めて知った。
「遺体処理」という本来的な埋葬の意義が、「世間体」という概念によって巧妙に置き換えられているのがいろいろな観点から見えてくる。
ここに卑屈なまでの日本的社会主義制度が象徴されているように思われてならない。 
 
一方で同氏も指摘しているように、「人間は、仲間が死ぬと、その以外を放ってはおかない」存在であることは確かだ。
そこには悠久なる歴史を通じて「死」という宿命的な課題に対する人類の苦悩が存在している。
だから「死とは何か?」、もっと言えば「人生とは何か?」という根本問題が解決しない限り、この一連の問題も解決の道はないのである。
 
同書の終わりの方で「千の風になって」の話が出てくる。
この歌を聞いたとき、時代は本当に変化しつつあるなという直感を得たことを記憶している。
日本人である我々はこの歌を自然に受け入れている。
そこには決して唯物論では納得できない世界観が我々の内に潜んでいるからなのである。 


ところが現代社会は唯物論を思想的インフラとして構築されているがゆえに、この問題に対する思索さえも失ってしまっている状況が続いてきた。
しかし日本を始めとする先進諸国だけでなく、新興国・開発途上国においても、今やこの人生の問題は無視できない問題となってしまった。
ただその問題に解答を与えるはずの宗教界が進化論を中心とする科学界の前にその権威を完全に失ってしまっているがゆえに、問題の解決は容易でないのである。
 
結局島田氏の結論は、墓を造らない「自然葬」という方向に向かう。
しかしそれは日本人の琴線に触れる感傷論を満足させることはあっても、根本的な疑問に対する回答は与えてくれないのである。
「葬式」と「墓」。
これを外面的にのみ鳥瞰する我々の社会概念は既に限界を呈していると理解すべきである。
ここで我々は間違いなく「人生を生きる目的」という課題を避けることができなくなっている。
宗教界が一致団結してこの疑問を解決する新たな理念を提示できない限り、人類の悲劇はその滅亡まで続いていくだろう。
同書の最後に解決のヒントとなる言葉があった。
島田氏は「墓は作らず、自然に還れ」と主張している。
ここが人類の限界点であり、これを超えていくことが本然の人間性を復帰する原点となると考える。
つまり「自然に還れ」のではなく「神に還れ」というべきなのである。
親が子を生み子が親になりまた子を生みだしてきた歴史。
人類だけでなく、全ての生きとし生けるものが続けている生の営み。
この原点に「還る」ことが、「葬式」と「墓」の問題を根本的に究明する鍵となる。
それを世界次元で目に見える形で我々に提示しているのがいわゆる「祝福結婚」であり「聖和式」だといえる。
 
 

「日月神示」について

 

世の中大転換がわかる 日月神示の緊急未来予測 迫りくるこの国の立て替え・立て直し (超☆わくわく)

世の中大転換がわかる 日月神示の緊急未来予測 迫りくるこの国の立て替え・立て直し (超☆わくわく)

  • 作者: 中矢 伸一
  • 出版社/メーカー: ヒカルランド
  • 発売日: 2011/03/22
  • メディア: 単行本

 

ある知り合いから「日月神示」という予言書があると聞いた。
名前からして神道系かなと思っていたが、どうやら大本系の予言書らしい。
自分が高校生の頃、桐山靖雄の阿含宗と出口王仁三郎の大本教に興味を持った。
特に大本教の教理のひとつである「型の論理」にはゾクゾクさせられたものだ。
上記の予言書もその筋の話だとわかったが、最近はあまり予言書といった話には興味がそそられなくなったため、内容自体は正直インパクトがなかった。

ただそこに載っていたいくつかの話題は結構うがった話があったので、ブログで紹介したいと思った。
それは「満州」の内容だ。
ロシアにいるときから、既に「これから北朝鮮の時代が来る」という話が出ていた。
自分は別に北のシンパでも何でもないが、世界が密かに注目する地域が中国東北部周縁だと言われてきた。
だからこそアメリカはあれだけ北朝鮮からコケにされても和解の道を用意しようとしているのだろう。
ある意味米国の国際戦略には恐れ入る一方、ただ単にコケにされっぱなしの日本の政治家連中にはほとほと呆れてしまう。
韓半島情勢を考えれば考えるほど、日本にとって同地域に対する国家戦略は重要なはずなのに…
これに対する先見の明をもった人物は日本にいないのだろうか?
 

「いい呼吸」をしよう

 

免疫力を高めるヨーガ式呼吸レッスン 音声CD付

免疫力を高めるヨーガ式呼吸レッスン 音声CD付

  • 作者: 綿本 彰
  • 出版社/メーカー: 新星出版社
  • 発売日: 2004/06
  • メディア: 単行本

最近長女のしもやけがひどくなった。冷え症の気があるようで心配だ。体が冷えやすいといろいろな問題が出てくるが、特に問題なのは免疫が落ちることだろう。自分も免疫機能を強化したいと考え参考になる書籍を探していたところ、面白そうなものを見つけた。

この本、ヨガ関係の本だが、それ以上に参考になるのは「呼吸」ということについて掘り下げて書いてある点だ。現代日本人は特にこの「呼吸」ということがダメになっているということが分かる。いわゆる「道」は必ず姿勢の問題を重要視しており、これが古来より日本人の気質となり健康の源となっていたが、今の日本人には「ダメな呼吸」、つまり「浅い呼吸」や「短い呼吸」が蔓延しており、特に息を殺すようなストレス環境で末梢血管が収縮して血行が悪くなる、姿勢も筋力を使わない猫背となる、疲れやすい、等々。若者が地べたに座り込んでふにゃふにゃしているのは論理的に正しいのだ。

人間の体には運動神経を通じて自分の意思で動かせる部分と自律神経により自動的に動く部分の2種類が存在しているが、その両方にかかわる器官として最も重要なものが呼吸器だという。これはつまり「体」と「心」に対応しており、この2つをつなぐものが「呼吸」という機能だとしている。『もともと「体」の動きに比べて「心」とは、意志の力でコントロールすることが難しいもの。心をうまくコントロールできないと、人はストレスを感じることになる。そうすると自律神経は即座に反応し、主に交感神経によって、各器官に〝ストレス状態対応〟の働きをするよう指令を出す…呼吸器もまた自律神経の支配を受けているため、呼吸筋が緊張し、息が速くなり、あるいはそれを抑え込むような、殺すような呼吸になる』。こうした状態が長引くと体の不調が顕著になってくる。

ここで問題解決の糸口となるのもまた「呼吸」となる。その理由は呼吸器が意志の力によっても動かせる器官だから。つまり意識的に呼吸のリズムを変えることで自律神経の働きを変え、最終的には心の状態も良い方向に変化させることができるということだ。

そしていわゆる「いい呼吸」のしかたとその効果が5項目にまとめられている。

1)「深く吐く」と血がきれいになる
2)「たくさん吸う」と疲れがとれる
3)「お腹で吐く」と血行がよくなる
4)「胸で吸う」と姿勢が整う
5)「ゆっくり吐く」とストレスが解消する

さらにこの「深くゆっくりとした呼吸」というのが非常に重要で、これを心がけることで副交感神経が働き出し、血行促進と体液循環により免疫力が活性され、体の自然治癒力が高まっていく。ヨガというのは結局、そのような特徴を持つ「呼吸」に着目して体系化された運動といえる。

張りつめた雰囲気で作業を行っているとき、イライラが爆発しそうなとき、様々なストレス環境の中で、肩の力を抜いて呼吸を整えることの重要性を感じ、無意識に実践してきた自分だったが、そこにはきちんとした理由があったことがわかり納得した次第だ。

ルーツを知ることが我々の存在意義を明確にする

失われたアイデンティティ (ペーパーバックス)

失われたアイデンティティ (ペーパーバックス)

  • 作者: ケン・ジョセフ
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2005/06/24
  • メディア: 文庫
 
同書ほど我々日本人の価値を知らしめてくれた作品を自分は知らない。

ケン・ジョセフ氏の書物では最も整理された内容だと思う。
「あなたは、なんのためにがんばっているのか?」と問うジョセフ氏の言葉には、日本人に対する深い愛情と信念が溢れている。
日本人の「原点に立ち返る」という「正しい歴史認識」は近代史の問題ではなく、それをはるかに超える「古代史」という次元で我々に真の力を与えてくれる内容だ。
そしてその「古代史」はキリスト教徒との邂逅という非常に新鮮かつ深遠な事実を基に綴られていく。

本書には「アッシリア」「景教」「秦氏」といったキーワードが頻出するが、自分は直感的にこれらの内容が事実だと理解した。
それは自分がロシア留学時代にこれらのキーワードを満たす人々を目にしてきたからだ。
同書に記された歴史の変遷上にある民族は、確かに日本人そっくりなのだ。
ウズベクの知り合いなどは大阪芸人としても十分通じる顔立ち、愛嬌、そして感性を持っている。
シベリア地方の民族も日本人に瓜二つで、最近見たロシア語講座の学生やその奥さんも日本人の目からはかなり美形の部類に入るような人たちだった。
さらに重要なのは、日本人が「仏教」として信仰している宗派も、その背後にはキリスト教の影が濃厚だという事実だ。
我々は知らないうちに「キリスト教」を信仰していた事実を全く理解していない「類い稀な」民族なのである。
「古代史」といえば雑誌ムーでおなじみの飛鳥昭雄氏が有名だが、このジョセフ氏の解説は飛鳥氏よりも具体的かつ明快で、いわゆる「オカルト」的な要素がないのもいい。
それはやはり我々日本人と共通の先祖を持つとする「アッシリア人」としての心眼ではないかと理解できる。

ジョセフ氏はボランティア・NGO活動の旗手としても活動しており、その内容が本書を通じて把握できるところも興味深い。
そこには現代日本における若者の問題と解決への提案までが実体験に基づく形で記されている。
我々が将来の国家像を形成するのに非常に大きな示唆を与えてくれる実績を残しているのである。

日本人が自らの真の価値を見出すための必須図書と言えるだろう。

 

原発技術と「夢」の国・日本

エネルギーと原発のウソをすべて話そう

エネルギーと原発のウソをすべて話そう

  • 作者: 武田邦彦
  • 出版社/メーカー: 産経新聞出版
  • 発売日: 2011/06/01
  • メディア: 単行本

東日本大震災後、日本の統治機構の問題点が次々と暴露されてきた。

 

その中でも原発問題は最も深刻な課題だと思われる。
これまでの環境問題関連の著作やマスコミ等で有名な著者に対する評価はまちまちだが、本書にある日本人の問題点という内容については納得する内容が多く、書評として残しておきたいと考えた。

本書の冒頭部分で開口一番、かなり耳の痛い意見が飛び出す。
福島第一原発の事故でわかったことは、日本の技術力は非常に高くても、それを使う人間があまりにも低いレベルだということでした。・・・簡単にいえば、国の安全基準では原発が地震で事故を起こすのは必然でした。原発は地震で壊れるようにできているのです。こんな大事故を起こしておきながら、原子力に携わっている人たちは反省もせずに、本当のことを言いません。国も同じです

また「自衛隊問題」「拉致問題」など、他人の意見を気にしてはっきりモノを言わない日本人の民族性が問題を助長させているという指摘も出てくる。
これらの問題は、「曖昧な日本人」と言われるような日本人の性質によるものだと考えます。・・・一方では日本人の美徳であり、一般的な状況では十分に価値のあることだと思いますが、こと防衛やエネルギー、食糧というような日本人の命にかかわることについては「曖昧」ではすみません
平時には自衛隊を毛嫌いして、軍に格上げせず侮辱するのに、台風や地震がくると自衛隊を尊敬するという軽薄さを持っている。さらに、尖閣問題などで中国が強く出たら日米安保はどうしたと言い、ときにアメリカ軍を批判し、米軍基地は国外に移設しろと運動をする。これらは、決して無知がもたらしているものではないことは、いわゆる日本のインテリ層がこのような矛盾を抱えていることからもわかります。適当にその場を切り抜ければいいという思考態度が、日本社会では受け入れられているのでしょう

さらに問題を混乱させているマスコミについての意見もわかりやすい。
さらにすごい豹変ぶりを見せたのは朝日新聞でした。これまで、原発の放射性物質漏洩事故というと、福島原発の1億分の1でも大々的な批判キャンペーンを張っていたのですが、福島原発事故が起こると、「放射線でがんになる人は1000人のうち5人にすぎず、日本人の3分の1が80歳になればガンで死ぬのだから、騒ぐことはない」という趣旨の署名入り記事を大きく載せました

そして巻末近くでは今後の原発政策に対する指針が述べられているが、これが非常に大切な提言だと思われる。
福島原発の事故を起こした日本社会の根源的な問題を挙げ、再び原発を動かすのならば次の4つの力が資格要件だということを述べました。
1 覚悟を決めて真正面から向き合う力 2 技術と思想を分けて考える力 3 科学的事実を認める力 4 学問と表現の自由を貫く力
この4つをもてなければ、日本は原子力を進めることができないということです。原子力のみならず、巨大技術をマネジメントできません

技術は思想ではありません。しかし、思想なき巨大技術は崩壊します。技術はあくまでも人類の福利に貢献するものであり、それは学問や表現の自由を厳密にもってこそ完成すると私は考えます

「あとがき」で教授が指摘しているように、我々は今もまだ日本という国の「夢」の中にいるようだ。

 

日本人にとっての食養生

 

50歳からの免疫力と快楽

50歳からの免疫力と快楽

  • 作者: 帯津 良一
  • 出版社/メーカー: ブックマン社
  • 発売日: 2010/04/24
  • メディア: 単行本

 

最近持病のことが気になりだし、誰かの知恵を拝借したくなることが多くなった。
病気の解決は結局「自然治癒力」であり、その基本が免疫力なので、図書館でその手のタイトルで読みやすそうなものを漁ってきた。
著者はホリスティック医療の老舗である病院の医師たちの手によるシリーズで、他にも何冊か似たようなタイトルがある。
この手の著作は嫌いではないのだが、ややもすると自社商品の紹介本のようなものが多く、誰もが無理なく実践可能な内容がなかなか見つからないことも多い中、著者の主張は納得がいくものが多い。

第二次大戦で日本が被った最大の致命傷は、多数の戦死者もさることながら、当時の米国の勝手な小麦戦略に対して盲目的に従属しただけの「食の欧米化」、そしてそれに続く戦後の栄養教育だろう。
「ギブ・ミー・チョコレート」の圧力により、日本の伝統的な食文化はほとんど片隅に追いやられ、「歴史あるヨーロッパの食文化には優れた健康食や伝統食がたくさんあります。しかし・・・それをそのまま、全く風土の違う別の国が模倣しようという考えが奇妙なのです」という当たり前のことさえ見えなくなってしまった結果、日本人の免疫力は減少の一途をたどったというのが実際だろう。
健康な食事の第一歩は主食の選択」という主張は当たり前のことなのに改めて納得させられてしまう。
自分もオジサン族のご多分にもれず日本食愛好家だが、それが一番まともだということに安堵感を覚える。
ただもちろん、咀嚼等の正しい摂食方法に従った上での話だと思うし、著者もはっきり、「免疫力を上げていくには、食材ではなく、食生活、そして生活全般を見直さなければならない」と説明している。

また最近は食文化の変容に加えて社会的要因も見逃せない問題であり、特にバブル崩壊による経済悪化を背景として、人間の最大の快楽である「性」が閉ざされ、そのはけ口として「食」が快楽の首位を奪っていると主張している。
なるほど、だから老若男女問わず「スイーツ」となってしまう原因がよくわかる。
確かに近隣諸国に行けば分かるが、日本ほど菓子文化が発達した国はない。
結局現代日本人にとって、「食」以外の要素は人生のたしなみとして成立しにくいということなのかもしれない。

ただし問題はただ食べればいいということではなく、「人間がほかの動物と決定的に違うこと。それは「食」が、ただ生命を維持するためだけの行為ではない、ということなのです。「食」と「心」はセットです」 というのがポイントだ。
他の存在と「食」を分かち合う、それが人間のエッセンスであり、そこに人生の真の価値も隠されているはずだ、という思いに駆られた。