インスピレーションに満ちた会議運営

出社前に近くのカフェを覗いてみた。
最近は朝から外でコーヒー会議を行うプロジェクトチームが増えていると思う。
ここではたと、我が統一運動のアドバンテージに気付いた。
★ 会議は祈りに始まり祈りに終わる
★ 訓読+御言を中心とした展望
★ 関係者間の証詞と心情交流
このような会議運営をどのような環境でも実行しているのはキリスト教会でもおそらくそれほど多くはないだろう。
学生時代からずっとこの形式の会議が当たり前だったので、その価値に気付くことが少なかった。
人と人との真摯な交流は、天の意思が介在することで心霊と知能を復活させる原動力となる(原理講論第3章第5節)。
真の父母より受けた価値ある財産を誇ることのできる自信と、それを人々に示すことのできる実力、この2つが我々の行くべき道を直くしてゆく。

キャリアアップはなぜ必要なのか?

現在自分はキャリアアップを指向している。
要するに「転職活動」中である。
諸所の事情はあるものの、自分を高めたいという意思は常に自分の中に蓄積されている。
今日は某企業の会社説明会に参加してきた。
「ライフプランナー」という仕事に関心があり、実際の業務について理解を深めたいという希望があったためだ。
参加前に近くの教会で祈りを捧げながら、自分の良心に「道を示してください」と尋ね求めた。
説明会に参加後、改めて考えさせられたのは「ライフプランの目的」ということだった。
自分を含め、多くの人がキャリアアップを目指している。
大多数の人々の目的は、それを通じて人生の価値を高めたいという願望からきている。
ではその願望は一体どこから生じているのだろうか?
これに対して「正解」与えることのできる人間はいない。
なぜならこの世ではその答えが「人それぞれ違う」からだ。
しかしよくよく考えてみると、大多数の人間は自己を高めたいという願望を持っていることから、ここに何らかの共通項が存在していることは想像に難くないし、当然共通項があって然るべきだ。
実は、我々の動機は我々が元から持っているものではない。
人間には必ず「親」、つまり「原因的存在」が存在する。
当然ながら我々の「親」も、「なぜキャリアアップをしないといけないのか?」という質問には答えられないだろう。
ただ一つだけ言えることは、「親」は誰しも「子」に対して立派な人間になることを願っている。
具体的には、「親」は我々自身が「大人」になって「生涯の伴侶」と家庭を築き、自己の能力を発揮しながら社会に貢献していく姿に喜びを感じる。
我々はその「親」の願いに応えるため、これらの「目標」を目指し、生きがいを見出していくのである。
統一思想ではこれを「連体」とよび、「全体目的」と「個体目的」が完全に調和されている状態をいう。
これが正に「宇宙の根本目的」となるのである。
この「連体」という概念がわからなくなってしまったのが今の我々の社会だ。
根本に「親」である神の願いがあることが感じられない、もしくはそこから引き離されてしまっているから、自分の人生の価値を過小評価して自ら命を絶ったり、逆に過大評価の中で傲慢不遜な「問題児」になったりする。
だから人々は絶望の中で呻吟している。
これに気付かない限り、人間は永遠に真の人生の価値を見出すことができない。
いわゆる「ライフプランニング」も、この根本原理の上に成り立つものであるはずだ。
つまり「ファイナンシャル」な部分は技術的な側面であって、根本的には真の「ライフバリュー」の追求が求められてくる。
自分がまずもってすべきことは、この「真の人生の価値」を自分の中で見極めながら行動していくことであることを再確認した。
天の深遠な配慮に感謝を捧げる。

三種の神器

昨日D社よりプレゼントが届く。IFRSとXBRLに関する単行本で、内容はITと会計の融合によるビジネスの未来図。何とも得した気分でプロローグを読むと、大前氏の「IT・ファイナンス・英語」という「3種の神器」論が蘇ってきた。絡んだ糸が解れて再びきれいに繋がっていくような感覚。

ДДТと生命の動的秩序

朝の通勤時、以前Twitterで紹介されたДДТのメロディーと福岡教授の新書本との絶妙なハーモニーが、けだるい頭脳を潤してくれた。その共通項は生命の躍動感であり、「分子機械」という概念では捉えきれない「動的秩序」だ。生物学を勉強してよかったという至福に満ちた一時だった。

永遠の真実

最近床に就く子供の顔を眺めながらよく思います。自分という存在は、自分を産んでくれた親の子供であり、自分が産んだ子供の親である。これが永遠に変わらない真実だと。たとえ人生でどんなに難しい局面が訪れても、これさえ見失わなければ新たな力が生まれてくるんですね。

ジャーナリズムの帰趨

ソ連末期のロシア留学時代、「ジャーナリズムの出発点は聖書活版印刷」という授業を受け懸命にノートしたことを思い出す。つまりメディアの本来の役割は単なる真実の公開だけではなく、「真理」の伝播にあると理解した。翻って20年後の2010年夏、この課題は今だ新鮮なテーマとして存在している。
2000年前のイエス様も、真実でないものを真実であるかのように述べ伝えることを警告してきた。これが正に「Anti-Christ」の本質であり、「Communism」の正体なのだ。

レーニンとジャーナリズム

旧共産圏を体験してきた立場からいうと、民主党の行動形態の本質は「メディアを駆使したプロレタリアート独裁」です。ジャーナリズムは左翼の神器であって、レーニンの実践活動のキモです。向こうの大学で「レーニンはジャーナリストだった」と教わりました。