「無縁社会」と宗教界の課題

お寺が救う無縁社会 (幻冬舎ルネッサンス新書 き)

お寺が救う無縁社会 (幻冬舎ルネッサンス新書 き)

  • 作者: 北川 順也
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎ルネッサンス
  • 発売日: 2011/04/20
  • メディア: 新書
前の2つの投稿で、現代日本の抱える根本問題を考察してみた。
しかし無論、人々はただ単純に手をこまねいているわけではない。
「無縁社会」という空虚な空間が広がる中、人々は昨年の東日本大震災とも相まって「絆」を求めようとする心を高めようとしている。
これに呼応する形で立ち上がる人々が出てきているのは希望だ。
そのうち基本的に宗教の教理を介さないグループがいわゆる「社会起業家」と呼ばれる人たちであり、このブログでも何度か紹介した。
では宗教界は何もしていないのかというと、実際に意識のある方々は増えつつあると思う。
その一例として、上記の著作を取り上げたい。
 
著者は仏教界の人間だが、現代の「葬式仏教」に大きな危機感を覚える有志であり、そのための代案を提示しようとしている。
「宗教法人はその税制上の優遇措置により、公益性という機能を通じて人々にその代価を支払う義務を有している」といった主張に感銘を覚えた。
「「企業の社会的責任(CSR)」という概念が宗教法人に適用されること自体違和感があるが、それを強調せざるを得ない状況が宗教界にある」ことに対して率直な反省を表明している点について、非常に大きな示唆を与えられた。
翻って自分自身はどうだろうか?
常に反省すべき人生だと痛感させられるのである。
 
 

「エンバーミング」の考察

エンバーマー

エンバーマー

  • 作者: 橋爪 謙一郎
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2009/01/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
数時間で一気に読みこんでしまった。
最近まで「エンバーミング」という言葉の意味を知らなかった。
いわゆる「ミイラ」に近い意味なのかなと思っていたのだが、実際には「おくりびと」に近い内容だったことが分かり非常に面白かった。
実際、著者は映画の製作にかかわっているところも初めて知った。
「エンバーミング」、それは遺体の修復と遺族のケアを総合的に提供するサービスである。
アメリカにはなんと「葬儀大学」なるものがある。
そこでは正に人間の精神と肉体の問題について非常に高度な知識を学ぶ機会があるという。
著者は葬儀屋の子供として生を受けたが、その環境に耐えられず上京してビジネスで成功する。
しかし最終的には自分の人生を賭ける生き方に目覚めて渡米。
日本人として初めてこの知識体系を学ぶ機会を得、帰国後にそれを展開している第一人者。
彼の功労により、日本でもようやく「グリーフケア」という概念が芽生えてきているようだ。
遺族を失った悲しみ、それを乗り越え人生を新たに出発するためのサポートを行うという、非常に奥の深いサービスである。
様々な課題はあるにせよ、こういうサービスをビジネス化し展開できる米国の力量には頭が下がる。
自分としては著書に記された彼の言葉に心を打たれた。
「子供向けのグリーフケア」という題目である。
「日本よりも進んでいると思われているアメリカでも、実は、子どもにきちんと「死」や「葬儀」について説明できない大人が多い」という。
しかし「子供が理解できないのではなく、それは、大人が、子供が理解できるように伝えられていないだけではないか」という回答を得るに至る。
著者の見解では、死生観については子供も大人も同じく共有できるという。
そして「自分自身を知らずに、相手と接していると、全てを自分の知っていることにあてはめようとする傾向、つまり「押しつけ」になる」と述べている。
我々はこのことを謙虚に見つめるべきではないだろうか?
現代社会で片隅に埋もれてしまっている「死生観」、これを見つめる感性は子供の方が強いかもしれない。
何のために生きているのか、そういう問いに対する感性は子供の意見に耳を傾けることでみえてくる部分もあると思う。
小さな子どもは親との関係が全てであり、それが人生の基本となるからである。
この根本的な関係性を基礎に置く人生こそ、我々が追求する幸福の基本にあるのではないだろうか?
ただこの社会は「グリーフケア」と呼ばれることからもわかるように、「死」が「悲しみ」という意味でしか捉える事の出来ない状態にある。
本当に「死」は「悲しみ」だけなのだろうか?
本来的にはこのレベルまで「死」の定義を行う必要があると思うのだが、我々人類は「死」に対する根本的な意義を見いだせず、歴史は流れてきたのである。
しかし徐々に変革の足音が近づき始めている時代に我々は生きているということもまた、紛れのない事実だと思う。
 
 

「自然に還る」を超えるべき人生の最期

墓は、造らない 新しい「臨終の作法」

墓は、造らない 新しい「臨終の作法」

  • 作者: 島田裕巳
  • 出版社/メーカー: 大和書房
  • 発売日: 2011/02/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
仏教界と葬儀業界に衝撃を与えた島田裕巳氏の「葬式は、いらない」。
喧々諤々の批判もあったようだが、現代日本人の心象にマッチする部分が大きかったのだろう、いまでは「家族葬」を超えて「個人葬」なるものまで定着しつつある。
「カネをかけてまでなんで葬式?」「残される家族に迷惑はかけられない」といった、「節約志向」というのか、「エコ」というのか、そういった感覚で葬儀がみられるようになっているのが現状だ。
昨年同氏はさらに理論を展開させ、「墓は、造らない」というところまで行ってしまった。
確かに葬式の後は墓の問題が出てくるのは当然の成り行きだ。
背景にあるのは「檀家制度」という、江戸時代のキリシタン迫害を背景とした仏教ベースの偏屈な行政制度だ。
これが現代社会に全く合わなくなったために、いわゆる「無縁社会」という大きな問題を引き起こす結果となった。
この問題をさらに助長したのが高度経済成長に起因する葬儀の形骸化だろう。
同氏の批判もこれをベースとして為されていることは明白だ。
 
同書には「葬式宗教」と化した現代仏教界に対する批判が幾重にも出てくる。
関東と関西で遺骨の取り扱い方が違うということは初めて知った。
「遺体処理」という本来的な埋葬の意義が、「世間体」という概念によって巧妙に置き換えられているのがいろいろな観点から見えてくる。
ここに卑屈なまでの日本的社会主義制度が象徴されているように思われてならない。 
 
一方で同氏も指摘しているように、「人間は、仲間が死ぬと、その以外を放ってはおかない」存在であることは確かだ。
そこには悠久なる歴史を通じて「死」という宿命的な課題に対する人類の苦悩が存在している。
だから「死とは何か?」、もっと言えば「人生とは何か?」という根本問題が解決しない限り、この一連の問題も解決の道はないのである。
 
同書の終わりの方で「千の風になって」の話が出てくる。
この歌を聞いたとき、時代は本当に変化しつつあるなという直感を得たことを記憶している。
日本人である我々はこの歌を自然に受け入れている。
そこには決して唯物論では納得できない世界観が我々の内に潜んでいるからなのである。 


ところが現代社会は唯物論を思想的インフラとして構築されているがゆえに、この問題に対する思索さえも失ってしまっている状況が続いてきた。
しかし日本を始めとする先進諸国だけでなく、新興国・開発途上国においても、今やこの人生の問題は無視できない問題となってしまった。
ただその問題に解答を与えるはずの宗教界が進化論を中心とする科学界の前にその権威を完全に失ってしまっているがゆえに、問題の解決は容易でないのである。
 
結局島田氏の結論は、墓を造らない「自然葬」という方向に向かう。
しかしそれは日本人の琴線に触れる感傷論を満足させることはあっても、根本的な疑問に対する回答は与えてくれないのである。
「葬式」と「墓」。
これを外面的にのみ鳥瞰する我々の社会概念は既に限界を呈していると理解すべきである。
ここで我々は間違いなく「人生を生きる目的」という課題を避けることができなくなっている。
宗教界が一致団結してこの疑問を解決する新たな理念を提示できない限り、人類の悲劇はその滅亡まで続いていくだろう。
同書の最後に解決のヒントとなる言葉があった。
島田氏は「墓は作らず、自然に還れ」と主張している。
ここが人類の限界点であり、これを超えていくことが本然の人間性を復帰する原点となると考える。
つまり「自然に還れ」のではなく「神に還れ」というべきなのである。
親が子を生み子が親になりまた子を生みだしてきた歴史。
人類だけでなく、全ての生きとし生けるものが続けている生の営み。
この原点に「還る」ことが、「葬式」と「墓」の問題を根本的に究明する鍵となる。
それを世界次元で目に見える形で我々に提示しているのがいわゆる「祝福結婚」であり「聖和式」だといえる。
 
 

「日月神示」について

 

世の中大転換がわかる 日月神示の緊急未来予測 迫りくるこの国の立て替え・立て直し (超☆わくわく)

世の中大転換がわかる 日月神示の緊急未来予測 迫りくるこの国の立て替え・立て直し (超☆わくわく)

  • 作者: 中矢 伸一
  • 出版社/メーカー: ヒカルランド
  • 発売日: 2011/03/22
  • メディア: 単行本

 

ある知り合いから「日月神示」という予言書があると聞いた。
名前からして神道系かなと思っていたが、どうやら大本系の予言書らしい。
自分が高校生の頃、桐山靖雄の阿含宗と出口王仁三郎の大本教に興味を持った。
特に大本教の教理のひとつである「型の論理」にはゾクゾクさせられたものだ。
上記の予言書もその筋の話だとわかったが、最近はあまり予言書といった話には興味がそそられなくなったため、内容自体は正直インパクトがなかった。

ただそこに載っていたいくつかの話題は結構うがった話があったので、ブログで紹介したいと思った。
それは「満州」の内容だ。
ロシアにいるときから、既に「これから北朝鮮の時代が来る」という話が出ていた。
自分は別に北のシンパでも何でもないが、世界が密かに注目する地域が中国東北部周縁だと言われてきた。
だからこそアメリカはあれだけ北朝鮮からコケにされても和解の道を用意しようとしているのだろう。
ある意味米国の国際戦略には恐れ入る一方、ただ単にコケにされっぱなしの日本の政治家連中にはほとほと呆れてしまう。
韓半島情勢を考えれば考えるほど、日本にとって同地域に対する国家戦略は重要なはずなのに…
これに対する先見の明をもった人物は日本にいないのだろうか?